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オペラ夏の祭典2019-20 Japan-Tokyo-World

『ニュルンベルクのマイスタージンガー』を紐解く ーザクセン州立歌劇場公演レポート

『ニュルンベルクのマイスタージンガー』は、2021年11月18日から12月1日まで新国立劇場で上演します。

本公演は東京文化会館、新国立劇場、ザルツブルク・イースター音楽祭、ザクセン州立歌劇場との共同制作ですが、ザルツブルク・イースター音楽祭では2019年4月に、ザクセン州立歌劇場では2020年1月~2月に上演されました。

会場いっぱいのスタンディングオベーションとなったザクセン州立歌劇場最終日公演(2020年2月16日)の模様を、日本ワーグナー協会理事の岡田安樹浩氏にレポートしてもらいました。

今回のイェンス=ダニエル・ヘルツォークによる演出は、いったいどのようなものなのか。実際に現地の公演を見た岡田氏のレポートで、その魅力を紐解きます。

 


 

リヒャルト・ワーグナーのオペラ《ニュルンベルクのマイスタージンガー》は、16世紀中頃のドイツ、ニュルンベルクを舞台に繰り広げられる喜劇だ。物語の中心にあるのは、ニュルンベルクのマイスタージンガーたちと、彼らの歌芸術である。この街では、毎年ヨハネの日(夏至の日)にお祭りがあり、街中の人々が集ってマイスタージンガーたちの「歌くらべ」−−−−歌唱コンクール−−−−が催されることになっていた。物語は、その前日から始まる。

 

この日、カタリーナ教会で行われたマイスタージンガーたちの集会(会議)において、マイスターの一人で金細工師のファイト・ポーグナーが、翌日の歌くらべの優勝者に愛娘のエーファを褒賞として与える、という提案をする。今日の感覚からすれば、これは人権無視、あるいは女性蔑視ととらえられても仕方あるまい。現代において、このような内容をそのまま上演するというのは無理な話だろう。それだけでなく、このオペラにはストレートに上演することが難しい事情が色々とある。作者のワーグナーが反ユダヤ主義者であったことや、ユダヤ人のカリカチュアと思しき登場人物が笑い者にされることもそうだが、「ドイツの芸術」を称揚する演説が大詰めにあり、右翼的と受け取られかねない内容をはらんでいるのだ。そのため、こうした点をどのように表現するかが常に問題になるのである。しかし何より深刻なのは、この作品が、ホロコーストを主導したナチスの総統アドルフ・ヒトラーのお気に入りであったという事実である。《マイスタージンガー》にはこうした血なまぐさい歴史がこびりついているため、演出家たちは作品を再解釈し、様々な工夫をしなければならない宿命にあるのである。そのようなわけで、演出家の解釈と創意工夫に注目することは、この作品を観賞するうえでの醍醐味なのである。

 

今回の演出家イェンス=ダニエル・ヘルツォークは俳優の父を持ち、ベルリン自由大学で哲学を学んだのちに演劇の演出家として活動を開始した経歴を持っており、まさに上述のような問題と対峙せざるをえないドイツ人演出家である。彼は、この作品を演出するにあたってどのような工夫を凝らしたのだろうか。

 

台本によれば、第1幕の舞台はカタリーナ教会の中、という設定である。ところが、前奏曲が大詰めにさしかかり、金管楽器のファンファーレと弦楽器の装飾的な音形が華々しく鳴り響くなかで幕が開くと、そこは今まさにこのオペラが上演されているザクセン州立歌劇場「ゼンパーオーパー」の中にそっくりなのだ。一目でそうと分かるほどに舞台美術(マティス・ナイトハルト)が良くできており、細部まで凝っている。ザルツブルク・イースター音楽祭、東京文化会館、新国立劇場との共同制作なのだから、ドレスデンだけを念頭に置いているように思えるこの舞台美術はあまり適切とは言えない気もするが、文句をつけても仕方がない。そのようなわけで、ゼンパーオーパーをご存知ない方には、劇場内部の写真をご覧になってから観賞されることをお勧めしたい。それに、ここはかつてワーグナー自身も務めていた劇場なので、知っておいて損はないだろう。彼の《さまよえるオランダ人》や《タンホイザー》は、この劇場で初演されているのだから。

 

[中央より左がゼンパーオーパー内装、右が今回の美術セット]

 

話は前後するが、この上演では前奏曲のあいだ幕が閉じられたままで、音楽に集中することができる。最近は前奏曲の最中から舞台上であれこれ繰り広げる演出が多く、それはそれで面白いのだが、こうしてじっくりと音楽を味わうことができるのはやはり嬉しい。《マイスタージンガー》を観たことがない人でも、それどころかクラシック音楽が身近ですらない人でも、この前奏曲はどこかで聴いたことがあるはずだ。

 

前奏曲の締めくくりと同時に第1幕の幕が開くと、劇場の舞台で礼拝の場面の稽古が行なわれており、客席にはパトロンと思しき人々が陣取っている。この演出はどうやら劇中劇になっているらしく、話はハンス・ザックスが支配人と演出家を務める劇場の楽屋話に置き換えられているようだ。それに応じて、物語の中心人物たちの位置付けもアレンジされている。とはいえ、新参者のヴァルター・フォン・シュトルツィングは劇場の新人職員(団員?)、裕福な職人のポーグナーは大パトロンといった具合に、オリジナルの人物設定を大きく逸脱するような変更ではないので、それほど不自然な印象は受けないだろう−−−−よくこうもうまく読み替えたものだ。

 

[2020年ザクセン州立歌劇場公演(ドレスデン)]

  

劇場の中が舞台ということで、その設定を補強する黙役も登場する。すなわち、稽古場のスケジュールを管理するマネージャー、ダンサーや振付家、メイク担当など、劇場の裏方たちである。ダーヴィットと徒弟たちもこうした裏方の一員のようだ。彼らが繰り広げる劇場の日常が劇中の所々に挟まれ、原作にはないサブ・ストーリーが展開されるのは面白く、この作品が喜劇(コーミッシェ・オーパー)であることを改めて感じさせられる。ただ、一度の観劇ですべての出来事を知覚するのは困難であるから、サブ・ストーリーは「おまけ」程度に楽しむのが良いだろう(筆者自身も多くのものを見落としていると思う)。

 

第2幕では盆舞台が使用されて劇場のセットが回転し、楽屋と劇場内部が舞台となる。先に述べた設定の置き換えを踏まえれば、ザックスの工房がどう読み替えられているか、想像するのは難しくないだろう。それに、メイクや衣装、小道具などがそろっている劇場内ならば、変装も容易だ。エーファが、求婚の歌を届けにやってきたジクストゥス・ベックメッサーから逃げるために変装したマグダレーネを身代わりにする、という原作の設定は喜劇にはありがちだが、リアリティという点ではイマイチである。それを「これならばアリかもしれない!」と思わせてしまうあたりが、この演出の成功しているところなのかもしれない。

 

この求婚の歌(セレナーデ)は、このオペラの聴きどころのひとつである。変装したマグダレーネをエーファと思い込んでセレナーデを歌い続けるベックメッサーも滑稽だが、ザックスが歌の審判という建前でハンマーを叩きながら調子を次第に追い立ててゆく様は愉快だし、追い立てられながらも必死に歌うベックメッサー役(日本公演でもドレスデン公演と同じアドリアン・エレートがキャスティングされている)の技量が問われるところでもある。

 

[2020年ザクセン州立歌劇場公演(ドレスデン)]

 

そうこうするうちに、ベックメッサーがマグダレーネに向かって求婚していることに腹を立てたボーイフレンドのダーヴィットが彼に殴りかかり、騒ぎを聞きつけた近所の人々(裏方の仲間たち)が次々とあらわれて殴り合いの乱痴気騒ぎに発展する。このカオスのような場面には、全曲中でもっとも高度な作曲技法が使われている。たくさんのメロディが同時に折り重なるようにして鳴り響くのだが、それらは非常に精密な作曲技法によって管理されている。しかし、そんなことはまったく聴き手には伝わらないところが、この場面の素晴らしさなのだ。

 

そして、パンフレットにも写真が掲載されている大きな月を背景にした場面が、この第2幕の幕切れである。この美しく印象的な月は、時間帯が深夜であることを表現していると同時に、大掛かりな舞台美術を登場させることによって、この物語が劇場の中で起こっている出来事だと改めて印象づける効果を狙っているのかもしれない。

 

[2019年ザルツブルク・イースター音楽祭公演]

 

さて、《マイスタージンガー》はここからが本番である。第1幕と第2幕がそれぞれおよそ70〜80分と60〜70分だったのに対して、第3幕は約120分の長丁場だ。そして、この作品の真の見どころ、聴きどころもここからである。

 

この演出家は第3幕の前奏曲でも幕を閉じていてくれるので、じっくりと音楽を味わうことができる。沈思するザックスを描くメロディに始まり、やがて夜明けのコラールが聴こえてくるこの前奏曲は、華やかで祝祭的な第1幕の前奏曲とは対照的で、心を深く揺さぶる音楽である。

 

幕が開くと、工房(オフィス)で物思いに耽るザックスの姿があり、そこへダーヴィット、ヴァルター、ベックメッサー、そしてエーファがかわるがわるやってくる。第3幕の前半は、ザックスと各登場人物との個人的な関係が描かれる重要な場面である。

 

[2020年ザクセン州立歌劇場公演(ドレスデン)]

 

ヴァルターは、ザックスの求めに応じて昨夜見た夢の内容を歌にし、ザックスはこれを書き取り、メロディと形式について指南するのだが、この歌は第3幕後半の歌くらべの場でヴァルターが披露する歌の原型であるから、よく覚えておいてほしい。

 

ベックメッサーとザックスのやり取り−−−−これが後半の歌くらべでベックメッサーがおかす大失態の布石となるので、二人の言動に注視しておこう−−−−がひと段落つくと、今度はエーファが登場する。親子ほど歳の離れた二人の間には、お互いに複雑な想いがあることが明かされるこの場面には、作曲者ワーグナーの個人的な想いも重なっている。彼がかつて作曲した《トリスタンとイゾルデ》−−−−若き妻イゾルデを娶ろうとしたマルケ王が、家臣で若い騎士のトリスタンに裏切られるという物語−−−−の内容と、それを作曲していた当時に彼自身がパトロン男性の妻と不倫関係にあったことがオーバラップしたのだろう。ザックスの口を借りて、自分は「賢いからマルケ王のようにはならない」と語り、《トリスタン》冒頭の音楽を引用しているのである−−−−ワーグナーがこれほどあからさまな自己引用を行った例はほかにない。

 

ザックスがヴァルターとエーファの両思いを後押しする決意をすると、歌くらべの本番に臨むために着替えとメイク−−−−その様子はザックスとエーファとの対話と同時並行で可視化される−−−−を済ませたヴァルターがあらわれ、次いでダーヴィットとマグダレーネもやってきて、それぞれの思い、進むべき道が同時に告白される〈五重唱〉となる。この音楽は第3幕の前奏曲とならんで、このオペラの中でもっとも深遠な音楽のひとつだ。

 

以上が第3幕の前半である。いよいよ残すところ約60分。舞台が転換し、祝祭的なファンファーレが聴こえてくると、歌くらべが始まる。ここからはすべての瞬間が見どころ、聴きどころと言っても良い。まずは、すべての人々によって歌われるルターのコラール〈目覚めよ、夜明けは近い〉の壮大かつ深遠な合唱の響きに聴き入ることになる。次に、ベックメッサーがザックス作の歌詞(と彼が思い込んでいるだけ)にのせてセレナーデを歌うも、曖昧な記憶を頼りに他人の詩に自分のメロディを無理にのせようとした結果、支離滅裂な歌となる場面に抱腹絶倒となるだろう。続いて、この詩の真の作者ヴァルターが歌を披露し、満場一致で彼が栄冠を勝ち取ることになるのだが、ヴァルターは「マイスター」の称号を拒否してしまう。自由奔放な若者の言動に、ザックスは懐大きく、しかし「マイスターの芸術を敬いたまえ」と言って窘め、「神聖ローマ帝国が滅びてもドイツの神聖な芸術は不朽である」と宣言する。このザックスの演説に一同が共感し、「ザックス万歳!」と讃称して幕となるフィナーレ−−−−ここで第1幕前奏曲の音楽が堂々と回帰してくる−−−−を、イェンス=ダニエル・ヘルツォークはどのように料理したのか、その結末に注目したい。そして、休憩を含めておよそ5時間以上もの時を経てから改めて聴く最初の前奏曲の音楽がどのように心に響いたか……帰り途に振り返ってみるもの悪くないだろう。

 

岡田 安樹浩(日本ワーグナー協会理事/国立音楽大学非常勤講師)

 

[2020年ザクセン州立歌劇場公演(ドレスデン)]

 

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