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オペラ夏の祭典2019-20 Japan-Tokyo-World

作品解説:破格の恋愛喜劇―キーワードで解き明かす《ニュルンベルクのマイスタージンガー》(山崎太郎)

『ニュルンベルクのマイスタージンガー』東京文化会館公演(8月4日・7日)で配布予定だったプログラムに掲載している、山崎太郎さんによる作品解説をアップします。11月18日に開幕する新国立劇場公演の鑑賞前にぜひご覧ください。

 


 

破格の恋愛喜劇―キーワードで解き明かす《ニュルンベルクのマイスタージンガー》

山崎太郎(東京工業大学・リベラルアーツ研究教育院教授)

 

ニュルンベルク! お前、かつては世に著名であった都よ! 如何に欣んで私はお前の曲がり迂った小路を彷徨った事であろう。如何に天真な愛を以て、昔のわが祖国芸術の刻印をしかと帯びた、お前の古風な家々や伽藍を見詰めた事であろう! いたって素朴な力強い真実の話し方をするあの時代の文化を、如何に心から愛することであろう。
(ヴァッケンローダー『芸術を愛する一修道僧の真情の披瀝』より、江川英一訳)

 


 

 ロマン派の文学者ヴァッケンローダーが謳っているとおり、近世のニュルンベルクはドイツの人々が懐旧の情とともに想起する心の故郷だ。プロテスタント、市民社会、民衆文化という彼の国の基盤を構成する三つの要素が萌芽として胚胎したのもまさしく、この時代のこの町においてである。

 時は十六世紀、マルティン・ルターのローマ・カトリック批判から始まった宗教改革は野火のようにドイツ全土に広がっていった。南と北を結ぶ交通の要所に位置する交易都市ニュルンベルクには多くの富が流れ込み、商工業が活況を呈している。芸術の分野では画家アルブレヒト・デューラーをはじめ、多くの人材が輩出。文学においても、商いや手工業を生業としながら、余暇をマイスターゲザング(=職匠歌)という韻文詩の創作に捧げる人々がいた。各職業の親方でもあり、同時に歌の道をきわめた名人はマイスタージンガーと呼ばれ、市民の尊敬の的であったが、この分野の第一人者が劇作家としても有名な靴屋の親方ハンス・ザックスである。

 

 本作《ニュルンベルクのマイスタージンガー》(以下、《マイスタージンガー》)は、ワーグナーの主要作品中、唯一の喜劇として知られる。愛しあう男女(ヴァルターとエファ)が、いくつかの障害を乗り越えて、めでたく結婚に至るという筋立て、二人の恋路を妨害する敵役(ベックメッサー)と、二人を導き、恋の成就を手助けする年長の賢者(ハンス・ザックス)の存在も、典型的な喜劇におなじみのものだ。夏至を祝う聖ヨハネ祭前日から当日にかけての一日間ですべてが解決するという展開も、古典的な作劇法にのっとっている。

 とはいえ、いくつかの点で《マイスタージンガー》は他の喜歌劇とは様相を異にする型破りの作品となった。全曲で約四時間半を要する演奏時間。若い恋人たちよりも、年長の賢者に大きな比重が置かれ、ザックスこそが真の主人公となっている点。そのことと関連するが、表層の喜劇的構成の裏には、通常のオペラには見られない深遠なテーマがいくつも仕込まれており、それらが重層的に響き合って、この作品に厚みと深み、さらに言えば一抹の苦みをも付与しているのである。以下、《マイスタージンガー》で扱われる主題をキーワードで整理し、音楽の聴きどころとも合わせて、紹介しよう。

 

テーマ1:諦念

 この恋愛喜劇の焦点となるのは一人の女性をめぐって争う敵役ベックメッサーとヴァルターの対立というよりはむしろ、年長の賢者ザックスとエファとの関係だ。エファにとって、幼いころから自分を可愛がってくれた隣の家のおじさまは、ほのかな憧れと尊敬の対象でもある。彼が町一番の人気者であることも誇らしく、自分は将来この人に嫁ぐのだと、ずっと無邪気に信じてきた。一方、ザックスも今や年頃の娘に成長したエファに温かく、それでいてどこか眩しそうな視線を注いでいる。そんな二人の前に突然、新たな若者が現われたのだ……。

 第2幕第4場でエファはザックスに歌合戦への出場をけしかけるが、ヴァルターと彼を両天秤にかけるような彼女の言動に媚態や計算を読み取るのは早計だろう。明日の花婿が誰になるかも分からぬ状況に加え、二人の男性のあいだで引き裂かれつつある情緒の乱れが、彼女を自分でも理屈のつかぬ言動に駆り立てているのである。そのことに感づきながらも、表向きは皮肉交じりにエファの挑発を受け流すザックス。そんな二人の間に流れる言葉にならぬ思いを、音楽は三拍子のたゆたうようなリズムと、夕暮れと宵闇の微妙なあわいを描き出す和声で、温かく切なく縁取ってゆく。

 そして、この秘められた三角関係が緊張の極から一挙に解決へと向かうのが第3幕第4場。ヴァルターがザックスの手ほどきを得て出来上がった歌をエファに披露すると、若い騎士と自分を結びつけるため、あえて身を引いたザックスの真情に思い至った彼女は、涙にむせんで彼を抱きしめる。人として大事なことを私に教え、私を花開かせたのはあなた、自分で選べるなら、夫となる人はあなたしかいない、ところが今の自分は運命の有無を言わさぬ力に従うほかはないのだと……。そして、このあとの五重唱では、幸福の予感に酔いしれるカップルの傍らで、自らの決断をもう一度己れに納得させるザックスの呟きが一つに溶け合い、こもごもの思いが洗い清められて、希望の光に昇華してゆく感がある。

 

テーマ2:迷妄

 第2幕後半、ザックスは駆け落ちをしようとする恋人たちに灯りを向けて行く手を阻むと、大声で歌を歌い出し、窓辺の女性(エファの身代わりに立つ乳母のマグダレーネ)に〈セレナーデ〉を捧げようとするベックメッサーの試みを徹底的に妨害。その騒ぎによって寝入りばなを起こされた町の人々が通りに出てきて、ついには大乱闘に発展する。

 ザックスの一連の言動は恋人たちを町に引き留め、結婚に導くための深謀遠慮ともとれる一方で、ただ激情にまかせ、自らの鬱屈した思いにはけ口を与えているという感がなきにしもあらずだ。とりわけ目につくのはベックメッサーへの露骨なまでの嫌がらせだろう。年の差をわきまえず、エファに求婚して、ぶざまな姿をさらすベックメッサーはザックスにとって、そうなりえたやも知れぬ己自身の歪められた写し絵にほかならない。だからこそ、彼は相手を執拗に攻撃するのだ。

 第3幕第1場でザックスは前夜の騒ぎを振り返り、自らの「迷妄」が人々に感染したのだと結論づける。「迷妄」にあたるドイツ語Wahnはきわめて多義的な言葉だ。理性を超えて人間を根底から衝き動かす力であり、迷い、妄想、煩悩、欲望あるいは狂気とさえ訳せる一方で、芸術を生み出す想像力・創造力の源泉でもある。こうした「迷妄」の両義性を見据えたうえで、その力をよきものに転じようと、ザックスは心を固めて、こう言い放つ。「このニュルンベルクでさえ/迷妄がわれらを駆り立ててやまぬとあらば/どうしてもその力を借りねばなるまい。/小事にめげず、そして、多少の侠気Wahnがなければ/どんな立派な企ても成就するはずがない。」

 この〈迷妄のモノローグ〉では混迷の夜を経た希望の朝の訪れというドラマの状況に合わせて、音楽的にも闇から光への展開が印象的だ。自らの心の奥底を覗き込むような歌い出しから、ザックスの思索の道筋をたどるように曲想と調性が目まぐるしく移ろい、日々の平和な町の営み、夜の通りに吹き荒れる煩悩の嵐、人々を衝き動かす霊妙な祝祭前夜の魔力が次々と歌われたあとに、最後は輝くばかりのハ長調で祝祭の朝の光が射しこむのである。

 

テーマ3:芸術

 《マイスタージンガー》は芸術そのものを主題とする作品でもある。芸術における伝統と前衛、形式と内容をめぐる論争のドラマと言い換えてもよいだろう。およそどのジャンルの芸術にも伝統によって培われた形式があるが、これを無批判に踏襲すると、やがて芸術は形骸化し、創造力を失ってしまう。こうした問題意識を持つザックスはヴァルターの型破りな歌に支持を表明して、頑迷固陋なマイスターたちと対立することになる。

 第1幕の後半では舞台上に描かれる人間模様と合わせ、音楽も興趣に満ちたものだ。まずはザックスの徒弟ダーヴィットが技巧を凝らした装飾音と珍奇な旋律を駆使しながら、ヴァルターに職匠歌の煩雑な規則と歌の修業の厳しさを説く第2場。続く第3場ではマイスターたちが各自特徴的なやり方で返答する〈出席点呼〉、エファの父親が朗々としたバスの声で明日のヨハネ祭への期待を湧き立たせ、自分の娘を歌合戦の勝者に提供しようと宣言する〈ポーグナーの演説〉、マイスターの組合における議長格のコートナーが読み上げる〈タブラトゥーア(職匠歌の規定)細則〉、春のエネルギーを漲らせた〈ヴァルターの試験歌〉まで、現代社会の縮図のような光景のうちに、保守的なマイスターたちと進歩的なザックスの意見の衝突がコミカルかつリアルに描かれるのである。

 規則と慣習によって芸術の生命が失われることを危惧するザックスは、一方で職匠歌の振興に力を尽くし、ヴァルターにも霊感や情熱を芸術にまで高めるためには形式が不可欠であると教え諭す。ザックスはいわば伝統と前衛を新たなやり方で融合しようと志すのだが、彼のこうした側面は特に第3幕第2場でヴァルターを指南する情景に見てとれよう。「人間の思いもよらぬ真実は/夢のなかにこそ姿をあらわす」と促して、相手の心に眠る詩想を引き出しながら、「日々の暮らしに追い立てられ/砂を噛むような苦しみのなかで……若き日の愛の想い出を/いつまでも鮮やかにとどめ」ようとするマイスターたちの努力に言い及ぶ。音楽のみならず台本をもじっくり味わうべきくだりだ。

 

テーマ4:共同体

 伝統と前衛をめぐる芸術上の議論は、政治や社会の問題にも広げて考えることができよう。共同体に培われた伝統は、そこに生きる人の心を一つに束ねる強力な縁(よすが)となる一方で、外から入ってくる要素を敵視し、攻撃するような排他的態度にも傾きかねない。はたしてニュルンベルクの町は外来者であるヴァルターを受け容れることができるのか? このように問いを立てるならば、この作品が現代のグローバリズムにまで結びつく、普遍的なテーマを扱っていることがわかるだろう。この作品が描き出す近世の町の様子はその意味で、今日の社会を考えるうえでも絶好のサンプルとなる。

 《マイスタージンガー》において、伝統的ドイツの共同体を体現するのは何よりも合唱だ。早くも第1幕冒頭の〈会衆のコラール〉が敬虔なプロテスタント社会の雰囲気を決定づける。洗礼者ヨハネを讃える歌の内容からは、作品全体の象徴的な意味合いが見えてくるだろう。ザックスの名前ハンスはヨハンネスの縮小形であり、その彼が(イエスの到来を告げる)ヨハネのごとく、天才詩人ヴァルターの先触れとなって、第3幕ではヴァルターの新たな歌曲に洗礼をほどこすというわけである。

 そして全曲中の頂点をなすのは第3幕の祝祭で歌われる〈目覚めよの合唱〉。ワーグナーは実在のザックスの手になる詩篇『ヴィッテンベルクの小夜啼鳥』をそのまま引用した。小夜啼鳥(=ナイチンゲール)とは、宗教改革によって暗黒の中世に近世の黎明をもたらしたマルティン・ルターを指す。ザックスが同時代の宗教家に捧げたこの頌歌を、劇中では民衆が作者ザックスへの崇敬の念を表わすべく唱和するのである。希望の福音とともに人々の絆を一つに結ぶこの合唱曲の圧倒的輝かしさには抗いがたい力があるが、ゆえにこそ、その前夜、同じ町の住民たちが相手かまわず掴みかかる大乱闘を繰り広げたこと(第2幕幕切れの〈殴り合いのフーガ〉)を思い出すと、共同体というものの危うい両義性が改めて浮かび上がるだろう。

 同じ意味で、ザックスが幕切れに行なう〈演説〉もまた、大きな問題を孕みつつ、この巨大な作品に苦い隠し味を添える。問題となるのはこの演説の中間部、それまで明るく和やかに進んできた音楽に突如影がさし、ザックスが「ドイツの真正な芸術を脅かす異国の文化(がらくた)」の脅威に話を及ぼすくだりだ。もっとも、ここでは大きな歴史的文脈を視野に入れる必要がある。フランスやイタリアの言葉や習俗に染まって民心を顧みなかった当時の宮廷への批判、ドイツ全土を蹂躙した半世紀のちの三十年戦争(1618~48年)への予言と警告がこの台詞には込められているからだ。演説を締めくくるくだり、「マイスターの仕事を思う心があれば/神聖ローマ帝国は/煙と消えようとも/ドイツの神聖な芸術は/いつまでも変わることなく残るであろう!」には、武力でも経済でもなく文化を国の礎とすべきであるというメッセージを読み取ることもできる。にもかかわらず、今日の私たちが演説全体を無批判に受け取るわけにいかないのは、この作品がナチスによって、排他的なドイツ礼賛の媒体として悪用されてきた歴史を知っているからだ。少なくとも今日のドイツの演出家は誰しも、この問題に向き合わざるを得ないようだ。今や民衆の賞賛と崇拝さえ得て、この共同体に迎え入れられようとするヴァルターは、幕切れでどのような行動をとるのか? 今回のヘルツォーク演出が出す答に注目しよう。

 

*台詞引用部分は三宅幸夫/池上純一編訳『ニュルンベルクのマイスタージンガー』(白水社)に基づく。

 

 

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