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オペラ夏の祭典2019-20 Japan-Tokyo-World

作品解説:破格の恋愛喜劇―キーワードで解き明かす《ニュルンベルクのマイスタージンガー》(山崎太郎)

『ニュルンベルクのマイスタージンガー』東京文化会館公演(8月4日・7日)で配布予定だったプログラムに掲載している、山崎太郎さんによる作品解説をアップします。11月18日に開幕する新国立劇場公演の鑑賞前にぜひご覧ください。

 


 

破格の恋愛喜劇―キーワードで解き明かす《ニュルンベルクのマイスタージンガー》

山崎太郎(東京工業大学・リベラルアーツ研究教育院教授)

 

ニュルンベルク! お前、かつては世に著名であった都よ! 如何に欣んで私はお前の曲がり迂った小路を彷徨った事であろう。如何に天真な愛を以て、昔のわが祖国芸術の刻印をしかと帯びた、お前の古風な家々や伽藍を見詰めた事であろう! いたって素朴な力強い真実の話し方をするあの時代の文化を、如何に心から愛することであろう。
(ヴァッケンローダー『芸術を愛する一修道僧の真情の披瀝』より、江川英一訳)

 


 

 ロマン派の文学者ヴァッケンローダーが謳っているとおり、近世のニュルンベルクはドイツの人々が懐旧の情とともに想起する心の故郷だ。プロテスタント、市民社会、民衆文化という彼の国の基盤を構成する三つの要素が萌芽として胚胎したのもまさしく、この時代のこの町においてである。

 時は十六世紀、マルティン・ルターのローマ・カトリック批判から始まった宗教改革は野火のようにドイツ全土に広がっていった。南と北を結ぶ交通の要所に位置する交易都市ニュルンベルクには多くの富が流れ込み、商工業が活況を呈している。芸術の分野では画家アルブレヒト・デューラーをはじめ、多くの人材が輩出。文学においても、商いや手工業を生業としながら、余暇をマイスターゲザング(=職匠歌)という韻文詩の創作に捧げる人々がいた。各職業の親方でもあり、同時に歌の道をきわめた名人はマイスタージンガーと呼ばれ、市民の尊敬の的であったが、この分野の第一人者が劇作家としても有名な靴屋の親方ハンス・ザックスである。

 

 本作《ニュルンベルクのマイスタージンガー》(以下、《マイスタージンガー》)は、ワーグナーの主要作品中、唯一の喜劇として知られる。愛しあう男女(ヴァルターとエファ)が、いくつかの障害を乗り越えて、めでたく結婚に至るという筋立て、二人の恋路を妨害する敵役(ベックメッサー)と、二人を導き、恋の成就を手助けする年長の賢者(ハンス・ザックス)の存在も、典型的な喜劇におなじみのものだ。夏至を祝う聖ヨハネ祭前日から当日にかけての一日間ですべてが解決するという展開も、古典的な作劇法にのっとっている。

 とはいえ、いくつかの点で《マイスタージンガー》は他の喜歌劇とは様相を異にする型破りの作品となった。全曲で約四時間半を要する演奏時間。若い恋人たちよりも、年長の賢者に大きな比重が置かれ、ザックスこそが真の主人公となっている点。そのことと関連するが、表層の喜劇的構成の裏には、通常のオペラには見られない深遠なテーマがいくつも仕込まれており、それらが重層的に響き合って、この作品に厚みと深み、さらに言えば一抹の苦みをも付与しているのである。以下、《マイスタージンガー》で扱われる主題をキーワードで整理し、音楽の聴きどころとも合わせて、紹介しよう。

 

テーマ1:諦念

 この恋愛喜劇の焦点となるのは一人の女性をめぐって争う敵役ベックメッサーとヴァルターの対立というよりはむしろ、年長の賢者ザックスとエファとの関係だ。エファにとって、幼いころから自分を可愛がってくれた隣の家のおじさまは、ほのかな憧れと尊敬の対象でもある。彼が町一番の人気者であることも誇らしく、自分は将来この人に嫁ぐのだと、ずっと無邪気に信じてきた。一方、ザックスも今や年頃の娘に成長したエファに温かく、それでいてどこか眩しそうな視線を注いでいる。そんな二人の前に突然、新たな若者が現われたのだ……。

 第2幕第4場でエファはザックスに歌合戦への出場をけしかけるが、ヴァルターと彼を両天秤にかけるような彼女の言動に媚態や計算を読み取るのは早計だろう。明日の花婿が誰になるかも分からぬ状況に加え、二人の男性のあいだで引き裂かれつつある情緒の乱れが、彼女を自分でも理屈のつかぬ言動に駆り立てているのである。そのことに感づきながらも、表向きは皮肉交じりにエファの挑発を受け流すザックス。そんな二人の間に流れる言葉にならぬ思いを、音楽は三拍子のたゆたうようなリズムと、夕暮れと宵闇の微妙なあわいを描き出す和声で、温かく切なく縁取ってゆく。

 そして、この秘められた三角関係が緊張の極から一挙に解決へと向かうのが第3幕第4場。ヴァルターがザックスの手ほどきを得て出来上がった歌をエファに披露すると、若い騎士と自分を結びつけるため、あえて身を引いたザックスの真情に思い至った彼女は、涙にむせんで彼を抱きしめる。人として大事なことを私に教え、私を花開かせたのはあなた、自分で選べるなら、夫となる人はあなたしかいない、ところが今の自分は運命の有無を言わさぬ力に従うほかはないのだと……。そして、このあとの五重唱では、幸福の予感に酔いしれるカップルの傍らで、自らの決断をもう一度己れに納得させるザックスの呟きが一つに溶け合い、こもごもの思いが洗い清められて、希望の光に昇華してゆく感がある。

 

テーマ2:迷妄

 第2幕後半、ザックスは駆け落ちをしようとする恋人たちに灯りを向けて行く手を阻むと、大声で歌を歌い出し、窓辺の女性(エファの身代わりに立つ乳母のマグダレーネ)に〈セレナーデ〉を捧げようとするベックメッサーの試みを徹底的に妨害。その騒ぎによって寝入りばなを起こされた町の人々が通りに出てきて、ついには大乱闘に発展する。

 ザックスの一連の言動は恋人たちを町に引き留め、結婚に導くための深謀遠慮ともとれる一方で、ただ激情にまかせ、自らの鬱屈した思いにはけ口を与えているという感がなきにしもあらずだ。とりわけ目につくのはベックメッサーへの露骨なまでの嫌がらせだろう。年の差をわきまえず、エファに求婚して、ぶざまな姿をさらすベックメッサーはザックスにとって、そうなりえたやも知れぬ己自身の歪められた写し絵にほかならない。だからこそ、彼は相手を執拗に攻撃するのだ。

 第3幕第1場でザックスは前夜の騒ぎを振り返り、自らの「迷妄」が人々に感染したのだと結論づける。「迷妄」にあたるドイツ語Wahnはきわめて多義的な言葉だ。理性を超えて人間を根底から衝き動かす力であり、迷い、妄想、煩悩、欲望あるいは狂気とさえ訳せる一方で、芸術を生み出す想像力・創造力の源泉でもある。こうした「迷妄」の両義性を見据えたうえで、その力をよきものに転じようと、ザックスは心を固めて、こう言い放つ。「このニュルンベルクでさえ/迷妄がわれらを駆り立ててやまぬとあらば/どうしてもその力を借りねばなるまい。/小事にめげず、そして、多少の侠気Wahnがなければ/どんな立派な企ても成就するはずがない。」

 この〈迷妄のモノローグ〉では混迷の夜を経た希望の朝の訪れというドラマの状況に合わせて、音楽的にも闇から光への展開が印象的だ。自らの心の奥底を覗き込むような歌い出しから、ザックスの思索の道筋をたどるように曲想と調性が目まぐるしく移ろい、日々の平和な町の営み、夜の通りに吹き荒れる煩悩の嵐、人々を衝き動かす霊妙な祝祭前夜の魔力が次々と歌われたあとに、最後は輝くばかりのハ長調で祝祭の朝の光が射しこむのである。

 

テーマ3:芸術

 《マイスタージンガー》は芸術そのものを主題とする作品でもある。芸術における伝統と前衛、形式と内容をめぐる論争のドラマと言い換えてもよいだろう。およそどのジャンルの芸術にも伝統によって培われた形式があるが、これを無批判に踏襲すると、やがて芸術は形骸化し、創造力を失ってしまう。こうした問題意識を持つザックスはヴァルターの型破りな歌に支持を表明して、頑迷固陋なマイスターたちと対立することになる。

 第1幕の後半では舞台上に描かれる人間模様と合わせ、音楽も興趣に満ちたものだ。まずはザックスの徒弟ダーヴィットが技巧を凝らした装飾音と珍奇な旋律を駆使しながら、ヴァルターに職匠歌の煩雑な規則と歌の修業の厳しさを説く第2場。続く第3場ではマイスターたちが各自特徴的なやり方で返答する〈出席点呼〉、エファの父親が朗々としたバスの声で明日のヨハネ祭への期待を湧き立たせ、自分の娘を歌合戦の勝者に提供しようと宣言する〈ポーグナーの演説〉、マイスターの組合における議長格のコートナーが読み上げる〈タブラトゥーア(職匠歌の規定)細則〉、春のエネルギーを漲らせた〈ヴァルターの試験歌〉まで、現代社会の縮図のような光景のうちに、保守的なマイスターたちと進歩的なザックスの意見の衝突がコミカルかつリアルに描かれるのである。

 規則と慣習によって芸術の生命が失われることを危惧するザックスは、一方で職匠歌の振興に力を尽くし、ヴァルターにも霊感や情熱を芸術にまで高めるためには形式が不可欠であると教え諭す。ザックスはいわば伝統と前衛を新たなやり方で融合しようと志すのだが、彼のこうした側面は特に第3幕第2場でヴァルターを指南する情景に見てとれよう。「人間の思いもよらぬ真実は/夢のなかにこそ姿をあらわす」と促して、相手の心に眠る詩想を引き出しながら、「日々の暮らしに追い立てられ/砂を噛むような苦しみのなかで……若き日の愛の想い出を/いつまでも鮮やかにとどめ」ようとするマイスターたちの努力に言い及ぶ。音楽のみならず台本をもじっくり味わうべきくだりだ。

 

テーマ4:共同体

 伝統と前衛をめぐる芸術上の議論は、政治や社会の問題にも広げて考えることができよう。共同体に培われた伝統は、そこに生きる人の心を一つに束ねる強力な縁(よすが)となる一方で、外から入ってくる要素を敵視し、攻撃するような排他的態度にも傾きかねない。はたしてニュルンベルクの町は外来者であるヴァルターを受け容れることができるのか? このように問いを立てるならば、この作品が現代のグローバリズムにまで結びつく、普遍的なテーマを扱っていることがわかるだろう。この作品が描き出す近世の町の様子はその意味で、今日の社会を考えるうえでも絶好のサンプルとなる。

 《マイスタージンガー》において、伝統的ドイツの共同体を体現するのは何よりも合唱だ。早くも第1幕冒頭の〈会衆のコラール〉が敬虔なプロテスタント社会の雰囲気を決定づける。洗礼者ヨハネを讃える歌の内容からは、作品全体の象徴的な意味合いが見えてくるだろう。ザックスの名前ハンスはヨハンネスの縮小形であり、その彼が(イエスの到来を告げる)ヨハネのごとく、天才詩人ヴァルターの先触れとなって、第3幕ではヴァルターの新たな歌曲に洗礼をほどこすというわけである。

 そして全曲中の頂点をなすのは第3幕の祝祭で歌われる〈目覚めよの合唱〉。ワーグナーは実在のザックスの手になる詩篇『ヴィッテンベルクの小夜啼鳥』をそのまま引用した。小夜啼鳥(=ナイチンゲール)とは、宗教改革によって暗黒の中世に近世の黎明をもたらしたマルティン・ルターを指す。ザックスが同時代の宗教家に捧げたこの頌歌を、劇中では民衆が作者ザックスへの崇敬の念を表わすべく唱和するのである。希望の福音とともに人々の絆を一つに結ぶこの合唱曲の圧倒的輝かしさには抗いがたい力があるが、ゆえにこそ、その前夜、同じ町の住民たちが相手かまわず掴みかかる大乱闘を繰り広げたこと(第2幕幕切れの〈殴り合いのフーガ〉)を思い出すと、共同体というものの危うい両義性が改めて浮かび上がるだろう。

 同じ意味で、ザックスが幕切れに行なう〈演説〉もまた、大きな問題を孕みつつ、この巨大な作品に苦い隠し味を添える。問題となるのはこの演説の中間部、それまで明るく和やかに進んできた音楽に突如影がさし、ザックスが「ドイツの真正な芸術を脅かす異国の文化(がらくた)」の脅威に話を及ぼすくだりだ。もっとも、ここでは大きな歴史的文脈を視野に入れる必要がある。フランスやイタリアの言葉や習俗に染まって民心を顧みなかった当時の宮廷への批判、ドイツ全土を蹂躙した半世紀のちの三十年戦争(1618~48年)への予言と警告がこの台詞には込められているからだ。演説を締めくくるくだり、「マイスターの仕事を思う心があれば/神聖ローマ帝国は/煙と消えようとも/ドイツの神聖な芸術は/いつまでも変わることなく残るであろう!」には、武力でも経済でもなく文化を国の礎とすべきであるというメッセージを読み取ることもできる。にもかかわらず、今日の私たちが演説全体を無批判に受け取るわけにいかないのは、この作品がナチスによって、排他的なドイツ礼賛の媒体として悪用されてきた歴史を知っているからだ。少なくとも今日のドイツの演出家は誰しも、この問題に向き合わざるを得ないようだ。今や民衆の賞賛と崇拝さえ得て、この共同体に迎え入れられようとするヴァルターは、幕切れでどのような行動をとるのか? 今回のヘルツォーク演出が出す答に注目しよう。

 

*台詞引用部分は三宅幸夫/池上純一編訳『ニュルンベルクのマイスタージンガー』(白水社)に基づく。

 

 

『ニュルンベルクのマイスタージンガー』公演情報はこちら

『ニュルンベルクのマイスタージンガー』を紐解く ーザクセン州立歌劇場公演レポート

『ニュルンベルクのマイスタージンガー』は、2021年11月18日から12月1日まで新国立劇場で上演します。

本公演は東京文化会館、新国立劇場、ザルツブルク・イースター音楽祭、ザクセン州立歌劇場との共同制作ですが、ザルツブルク・イースター音楽祭では2019年4月に、ザクセン州立歌劇場では2020年1月~2月に上演されました。

会場いっぱいのスタンディングオベーションとなったザクセン州立歌劇場最終日公演(2020年2月16日)の模様を、日本ワーグナー協会理事の岡田安樹浩氏にレポートしてもらいました。

今回のイェンス=ダニエル・ヘルツォークによる演出は、いったいどのようなものなのか。実際に現地の公演を見た岡田氏のレポートで、その魅力を紐解きます。

 


 

リヒャルト・ワーグナーのオペラ《ニュルンベルクのマイスタージンガー》は、16世紀中頃のドイツ、ニュルンベルクを舞台に繰り広げられる喜劇だ。物語の中心にあるのは、ニュルンベルクのマイスタージンガーたちと、彼らの歌芸術である。この街では、毎年ヨハネの日(夏至の日)にお祭りがあり、街中の人々が集ってマイスタージンガーたちの「歌くらべ」−−−−歌唱コンクール−−−−が催されることになっていた。物語は、その前日から始まる。

 

この日、カタリーナ教会で行われたマイスタージンガーたちの集会(会議)において、マイスターの一人で金細工師のファイト・ポーグナーが、翌日の歌くらべの優勝者に愛娘のエーファを褒賞として与える、という提案をする。今日の感覚からすれば、これは人権無視、あるいは女性蔑視ととらえられても仕方あるまい。現代において、このような内容をそのまま上演するというのは無理な話だろう。それだけでなく、このオペラにはストレートに上演することが難しい事情が色々とある。作者のワーグナーが反ユダヤ主義者であったことや、ユダヤ人のカリカチュアと思しき登場人物が笑い者にされることもそうだが、「ドイツの芸術」を称揚する演説が大詰めにあり、右翼的と受け取られかねない内容をはらんでいるのだ。そのため、こうした点をどのように表現するかが常に問題になるのである。しかし何より深刻なのは、この作品が、ホロコーストを主導したナチスの総統アドルフ・ヒトラーのお気に入りであったという事実である。《マイスタージンガー》にはこうした血なまぐさい歴史がこびりついているため、演出家たちは作品を再解釈し、様々な工夫をしなければならない宿命にあるのである。そのようなわけで、演出家の解釈と創意工夫に注目することは、この作品を観賞するうえでの醍醐味なのである。

 

今回の演出家イェンス=ダニエル・ヘルツォークは俳優の父を持ち、ベルリン自由大学で哲学を学んだのちに演劇の演出家として活動を開始した経歴を持っており、まさに上述のような問題と対峙せざるをえないドイツ人演出家である。彼は、この作品を演出するにあたってどのような工夫を凝らしたのだろうか。

 

台本によれば、第1幕の舞台はカタリーナ教会の中、という設定である。ところが、前奏曲が大詰めにさしかかり、金管楽器のファンファーレと弦楽器の装飾的な音形が華々しく鳴り響くなかで幕が開くと、そこは今まさにこのオペラが上演されているザクセン州立歌劇場「ゼンパーオーパー」の中にそっくりなのだ。一目でそうと分かるほどに舞台美術(マティス・ナイトハルト)が良くできており、細部まで凝っている。ザルツブルク・イースター音楽祭、東京文化会館、新国立劇場との共同制作なのだから、ドレスデンだけを念頭に置いているように思えるこの舞台美術はあまり適切とは言えない気もするが、文句をつけても仕方がない。そのようなわけで、ゼンパーオーパーをご存知ない方には、劇場内部の写真をご覧になってから観賞されることをお勧めしたい。それに、ここはかつてワーグナー自身も務めていた劇場なので、知っておいて損はないだろう。彼の《さまよえるオランダ人》や《タンホイザー》は、この劇場で初演されているのだから。

 

[中央より左がゼンパーオーパー内装、右が今回の美術セット]

 

話は前後するが、この上演では前奏曲のあいだ幕が閉じられたままで、音楽に集中することができる。最近は前奏曲の最中から舞台上であれこれ繰り広げる演出が多く、それはそれで面白いのだが、こうしてじっくりと音楽を味わうことができるのはやはり嬉しい。《マイスタージンガー》を観たことがない人でも、それどころかクラシック音楽が身近ですらない人でも、この前奏曲はどこかで聴いたことがあるはずだ。

 

前奏曲の締めくくりと同時に第1幕の幕が開くと、劇場の舞台で礼拝の場面の稽古が行なわれており、客席にはパトロンと思しき人々が陣取っている。この演出はどうやら劇中劇になっているらしく、話はハンス・ザックスが支配人と演出家を務める劇場の楽屋話に置き換えられているようだ。それに応じて、物語の中心人物たちの位置付けもアレンジされている。とはいえ、新参者のヴァルター・フォン・シュトルツィングは劇場の新人職員(団員?)、裕福な職人のポーグナーは大パトロンといった具合に、オリジナルの人物設定を大きく逸脱するような変更ではないので、それほど不自然な印象は受けないだろう−−−−よくこうもうまく読み替えたものだ。

 

[2020年ザクセン州立歌劇場公演(ドレスデン)]

  

劇場の中が舞台ということで、その設定を補強する黙役も登場する。すなわち、稽古場のスケジュールを管理するマネージャー、ダンサーや振付家、メイク担当など、劇場の裏方たちである。ダーヴィットと徒弟たちもこうした裏方の一員のようだ。彼らが繰り広げる劇場の日常が劇中の所々に挟まれ、原作にはないサブ・ストーリーが展開されるのは面白く、この作品が喜劇(コーミッシェ・オーパー)であることを改めて感じさせられる。ただ、一度の観劇ですべての出来事を知覚するのは困難であるから、サブ・ストーリーは「おまけ」程度に楽しむのが良いだろう(筆者自身も多くのものを見落としていると思う)。

 

第2幕では盆舞台が使用されて劇場のセットが回転し、楽屋と劇場内部が舞台となる。先に述べた設定の置き換えを踏まえれば、ザックスの工房がどう読み替えられているか、想像するのは難しくないだろう。それに、メイクや衣装、小道具などがそろっている劇場内ならば、変装も容易だ。エーファが、求婚の歌を届けにやってきたジクストゥス・ベックメッサーから逃げるために変装したマグダレーネを身代わりにする、という原作の設定は喜劇にはありがちだが、リアリティという点ではイマイチである。それを「これならばアリかもしれない!」と思わせてしまうあたりが、この演出の成功しているところなのかもしれない。

 

この求婚の歌(セレナーデ)は、このオペラの聴きどころのひとつである。変装したマグダレーネをエーファと思い込んでセレナーデを歌い続けるベックメッサーも滑稽だが、ザックスが歌の審判という建前でハンマーを叩きながら調子を次第に追い立ててゆく様は愉快だし、追い立てられながらも必死に歌うベックメッサー役(日本公演でもドレスデン公演と同じアドリアン・エレートがキャスティングされている)の技量が問われるところでもある。

 

[2020年ザクセン州立歌劇場公演(ドレスデン)]

 

そうこうするうちに、ベックメッサーがマグダレーネに向かって求婚していることに腹を立てたボーイフレンドのダーヴィットが彼に殴りかかり、騒ぎを聞きつけた近所の人々(裏方の仲間たち)が次々とあらわれて殴り合いの乱痴気騒ぎに発展する。このカオスのような場面には、全曲中でもっとも高度な作曲技法が使われている。たくさんのメロディが同時に折り重なるようにして鳴り響くのだが、それらは非常に精密な作曲技法によって管理されている。しかし、そんなことはまったく聴き手には伝わらないところが、この場面の素晴らしさなのだ。

 

そして、パンフレットにも写真が掲載されている大きな月を背景にした場面が、この第2幕の幕切れである。この美しく印象的な月は、時間帯が深夜であることを表現していると同時に、大掛かりな舞台美術を登場させることによって、この物語が劇場の中で起こっている出来事だと改めて印象づける効果を狙っているのかもしれない。

 

[2019年ザルツブルク・イースター音楽祭公演]

 

さて、《マイスタージンガー》はここからが本番である。第1幕と第2幕がそれぞれおよそ70〜80分と60〜70分だったのに対して、第3幕は約120分の長丁場だ。そして、この作品の真の見どころ、聴きどころもここからである。

 

この演出家は第3幕の前奏曲でも幕を閉じていてくれるので、じっくりと音楽を味わうことができる。沈思するザックスを描くメロディに始まり、やがて夜明けのコラールが聴こえてくるこの前奏曲は、華やかで祝祭的な第1幕の前奏曲とは対照的で、心を深く揺さぶる音楽である。

 

幕が開くと、工房(オフィス)で物思いに耽るザックスの姿があり、そこへダーヴィット、ヴァルター、ベックメッサー、そしてエーファがかわるがわるやってくる。第3幕の前半は、ザックスと各登場人物との個人的な関係が描かれる重要な場面である。

 

[2020年ザクセン州立歌劇場公演(ドレスデン)]

 

ヴァルターは、ザックスの求めに応じて昨夜見た夢の内容を歌にし、ザックスはこれを書き取り、メロディと形式について指南するのだが、この歌は第3幕後半の歌くらべの場でヴァルターが披露する歌の原型であるから、よく覚えておいてほしい。

 

ベックメッサーとザックスのやり取り−−−−これが後半の歌くらべでベックメッサーがおかす大失態の布石となるので、二人の言動に注視しておこう−−−−がひと段落つくと、今度はエーファが登場する。親子ほど歳の離れた二人の間には、お互いに複雑な想いがあることが明かされるこの場面には、作曲者ワーグナーの個人的な想いも重なっている。彼がかつて作曲した《トリスタンとイゾルデ》−−−−若き妻イゾルデを娶ろうとしたマルケ王が、家臣で若い騎士のトリスタンに裏切られるという物語−−−−の内容と、それを作曲していた当時に彼自身がパトロン男性の妻と不倫関係にあったことがオーバラップしたのだろう。ザックスの口を借りて、自分は「賢いからマルケ王のようにはならない」と語り、《トリスタン》冒頭の音楽を引用しているのである−−−−ワーグナーがこれほどあからさまな自己引用を行った例はほかにない。

 

ザックスがヴァルターとエーファの両思いを後押しする決意をすると、歌くらべの本番に臨むために着替えとメイク−−−−その様子はザックスとエーファとの対話と同時並行で可視化される−−−−を済ませたヴァルターがあらわれ、次いでダーヴィットとマグダレーネもやってきて、それぞれの思い、進むべき道が同時に告白される〈五重唱〉となる。この音楽は第3幕の前奏曲とならんで、このオペラの中でもっとも深遠な音楽のひとつだ。

 

以上が第3幕の前半である。いよいよ残すところ約60分。舞台が転換し、祝祭的なファンファーレが聴こえてくると、歌くらべが始まる。ここからはすべての瞬間が見どころ、聴きどころと言っても良い。まずは、すべての人々によって歌われるルターのコラール〈目覚めよ、夜明けは近い〉の壮大かつ深遠な合唱の響きに聴き入ることになる。次に、ベックメッサーがザックス作の歌詞(と彼が思い込んでいるだけ)にのせてセレナーデを歌うも、曖昧な記憶を頼りに他人の詩に自分のメロディを無理にのせようとした結果、支離滅裂な歌となる場面に抱腹絶倒となるだろう。続いて、この詩の真の作者ヴァルターが歌を披露し、満場一致で彼が栄冠を勝ち取ることになるのだが、ヴァルターは「マイスター」の称号を拒否してしまう。自由奔放な若者の言動に、ザックスは懐大きく、しかし「マイスターの芸術を敬いたまえ」と言って窘め、「神聖ローマ帝国が滅びてもドイツの神聖な芸術は不朽である」と宣言する。このザックスの演説に一同が共感し、「ザックス万歳!」と讃称して幕となるフィナーレ−−−−ここで第1幕前奏曲の音楽が堂々と回帰してくる−−−−を、イェンス=ダニエル・ヘルツォークはどのように料理したのか、その結末に注目したい。そして、休憩を含めておよそ5時間以上もの時を経てから改めて聴く最初の前奏曲の音楽がどのように心に響いたか……帰り途に振り返ってみるもの悪くないだろう。

 

岡田 安樹浩(日本ワーグナー協会理事/国立音楽大学非常勤講師)

 

[2020年ザクセン州立歌劇場公演(ドレスデン)]

 

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『ニュルンベルクのマイスタージンガー』イェンス=ダニエル・ヘルツォーク(演出)メッセージ

11月18日(木)に新国立劇場公演が開幕する『ニュルンベルクのマイスタージンガー』を演出するイェンス=ダニエル・ヘルツォークのメッセージをアップしました。

(本プロダクションが初演された2019年4月のザルツブルク・イースター音楽祭公演時に撮影しました)

 

 

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映像配信:大野和士のオペラ玉手箱 with Singers『ニュルンベルクのマイスタージンガー』

オペラ夏の祭典2019↔20 Japan↔Tokyo↔Worldプレイベントとして、2021年7月20日(火)に江戸川区総合文化センター大ホールで行われた、大野和士のオペラ玉手箱 with Singers『ニュルンベルクのマイスタージンガー』の映像です。

 

お話・ピアノ:大野和士

ハンス・ザックス:ギド・イェンティンス

ジクストゥス・ベックメッサー:近藤 圭

ヴァルター・フォン・シュトルツィング:今尾 滋

ダーヴィット:伊藤達人

エーファ:吉田珠代

マグダレーネ:田村由貴絵

ピアノ:西 聡美

通訳:蔵原順子

 

第1幕

第2幕

第3幕

 

主催:東京都/公益財団法人東京都歴史文化財団 東京文化会館

共催:公益財団法人新国立劇場運営財団/江戸川区/江戸川区総合文化センター指定管理者サントリーパブリシティサービスグループ

 

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ゲーテ・インスティトゥート東京主催 『ニュルンベルクのマイスタージンガー』特別鼎談 – ゲスト:大野和士、ハイコ・ヘンチェル、舩木篤也

11月18日から12月1日に新国立劇場で上演するワーグナーのオペラ『ニュルンベルクのマイスタージンガー』はザルツブルク・イースター音楽祭とザクセン州立歌劇場、東京文化会館、新国立劇場の共同制作で、2019年ザルツブルクでの初演後、2020年ドレスデンで上演され、この度新国立劇場公演を迎えることになりました。これを機会に、ゲーテ・インスティトゥート東京で特別鼎談が開催されます。

大野和士 オペラ夏の祭典2019-20 Japan↔Tokyo↔World総合プロデューサー/新国立劇場オペラ芸術監督に『マイスタージンガー』の音楽的魅力をご紹介いただくとともに、来日中の演出補ハイコ・ヘンチェル氏には、過去の上演史とも照らし合わせながら今回の演出についてお話をうかがいます。またこの度の上演の字幕を手掛けた、日本ワーグナー協会理事、音楽評論家の舩木篤也氏にもご参加いただき、『マイスタージンガー』のアクチュアルな可能性に多角的に迫ります。

 

(写真左から)大野和士、ハイコ・ヘンチェル、舩木篤也

 

ゲーテ・インスティトゥート東京主催 『ニュルンベルクのマイスタージンガー』特別鼎談 – ゲスト:大野和士、ハイコ・ヘンチェル、舩木篤也

 

日時:11月22日(月)15時~16時30分(予定)

 

会場:ゲーテ・インスティトゥート東京図書館

 

料金:無料(限定30名様、事前申し込み制【受付終了】)、オンライン配信あり

※お申し込み方法はゲーテ・インスティトゥート東京ウェブサイトをご覧ください。

https://www.goethe.de/ins/jp/ja/sta/tok/ver.cfm?event_id=22470825

※定員に達したためお申し込みは終了しました。YouTubeで生配信いたしますので、ぜひご覧ください。

 

 

言語:日独逐次通訳付き

 

主催:ゲーテ・インスティトゥート東京

協力:新国立劇場/日本ワーグナー協会

 

『ニュルンベルクのマイスタージンガー』公演情報はこちら